(2)
卒業式の後、みんなで卒業写真をとり、その後も仲の良かった子たちとたくさん写真を撮った。
写真部の山村くんも最後の日くらい撮られる側になればいいのに、みんなの笑顔や変な顔、そして涙を流して別れを惜しむ子たちを最後までとり続けていた。
なんとなくみんなが散り始める流れになった頃、わたしはひとりで部室へと向かった。いろんな思いに耽っていると、窓から見える体育館裏のサクラの木の下に誰かが先に立っていた。
河野くんだ。蕾のサクラの木の枝をじっと見つめるその姿にわたしもドキドキしてきてしまう。
わたしは何を思ったのか部室を飛び出して階段を駆け下りた。
息も切れ切れに近づくと、砂利を踏む足音に彼が気づいて、そこに流れていた空気が一瞬で変わる
「なんだ沢井さん。どうしたの」
「上の部室から見えたから・・・」
「ああ、そっか。あの部屋、筝曲部の部室だったんだ」
改めて知ったようにつぶやく河野くんにうん、と軽く答えた。
「この桜にはいろいろ思い入れがあって」
まだ花を咲かせるには少し遠いサクラの木を見上げながらそう言った河野くんの言葉にふと思い出す。
「河野くん、この桜の絵を描いてたよね?」
タイトルは忘れもしない『サクラの木』
「よく・・・わかったね、このサクラの木だって」
そういえば、どうしてわたしは河野くんの入選した絵がこのサクラの木だと思ったのだろう。
箏曲部に入部した日、部室から満開のこのサクラの木が目に入った。あまりにも綺麗で見とれていると、誰かがちょうど告白をしていたのが見えて、先輩がサクラの木の伝説を教えてくれた。
「俺さ、沢井さんは高校でもテニス部に入ると勝手に思ってた」
「え?」
「中学のとき、すごく楽しそうだったから」
突然の河野くんの言葉に少し驚いた。
一体どうして今、こんな話を始めたんだろう。
確かに、中学のときはわたしはテニス部に入って、楽しかったし、それなりに一生懸命頑張って練習していた。
「だから、筝曲部に入部したって知ったときは驚いたんだけど、でも学園祭で初めて琴の演奏してる沢井さんを見て、ああこれが本当にやりたかったことなんだなぁと妙に納得してさ。『さくら』の演奏かなり感動した」
「見てくれてたんだ」
学園祭で確かに筝曲部は毎年演奏をしているけれど、時間も短いし、決して華やかな演目というわけではない。
「あれ見て、サクラの木の絵を描こうと思ったんだ」
「・・・あの絵、わたしすごく好きだった。しばらく、玄関のところに飾ってあったよね」
入選作品として。
「そう。恥ずかしいんだけどさ。でも、あの絵がどの桜の木かわかったのは沢井さんだけじゃないかな」
そんなことを言われ、わたしはどう応えていいかわからなかった。
河野くんの姿が見えて、何か言わなければと思ってここへ来たはずなのにいざ河野くんの前にすると、どんな風に言葉にしていいかもわからなくて、自分でももどかしく思えた。
お互い、無言の時間が流れて、わたしたちはお互いを見つめ合っていた。
「沢井さん、いろいろありがとう」
最初にその空気を破ったのは河野くんだった。
「わたしも、ありがとう」
それだけ言うのが精一杯だった。
本当はもっともっと話したいことはあったはずなのに、喉につっかえたように言葉が出てこない。
「元気で」
次に河野くんが発したのは明らかに別れの言葉で、わたしは自分の気持ちをなにひとつ伝えることなく、心に飲み込んだ。
「河野くんも」
「それじゃ・・・」
わたしたちには携帯のアドレスを交換する機会が何度もあったはずだった。それでも、わたしたちはどちらもその言葉を口にすることは最後までなかった。
河野くんは手を振ってわたしに背を向けた。
「・・・・と、ちゃん・・・さようなら」
え・・・?
河野くんがもう一度振り向いた。
けれどすぐに手を振って走っていってしまった。