【サクラの木】第3話 夏休み - 2/3

(2)

午前最後の英語が終わって、みんなそれぞれ帰宅したり、塾や予備校に向かったりする中、山ちゃん先生が教室に現れた。

帰る準備をしていたわたしのところにやってきて、「沢井、ちょっといいか」と声をかけられた。なんだか嫌な予感がしたけれど、頷いておいた。

そんな様子を見ていたつぐみがわたしに手をふって、

 

「あたし、先に行くね。また明日~」

 

と笑顔で言うと、わたしが手を振り返すのを見届けて教室を出て行った。

つぐみはこれから大学生の彼氏と会うことになっていた。同じ大学に入るために夏休みは無償家庭教師になってもらうようなので羨ましい。

みんなが教室を出て行くと、山ちゃん先生は適当に椅子に座れと言わんばかりにじぶんから先に椅子をくるりと回転させて座った。

 

「どうしたんですか、先生」

「ああ、おまえさ、コンクール応募しないか」

 

そう言って、プリントを数枚渡された。目に入ったのはいくつかのコンクールの募集要項で、わたしはすぐに山ちゃん先生の言わんとしていることがわかって、山ちゃん先生のほうを見た。

 

「今年は受験生なんですけど」

「そうなんだけどな。無理にとは言わないが、内申よくなるぞ」

「うわー、なんか脅迫されてるみたい」

「ハハハ」

 

わたしは心に余裕と時間があれば、ということで承諾した。

それでもやるんだろうな、と自分で思う。

書道は幼稚園の頃からやっている習い事のひとつだし、本を読むのはもともと好きなので、なんらかの本は必ず読むだろう。国語科の山ちゃん先生もそれをよくわかってるからこうやって声をかけてくるのだと思った。

 

ガラっと勢いよく教室の扉が開いて、わたしと山ちゃん先生の視線が同時にそちらの方に向かった。

 

「うわ、ここすっげ涼しい」

Tシャツにハーフパンツ姿で汗だくになって飛び込んできたのは河野くんだった。

 

「おう、河野」

わたしと山ちゃん先生の視線が同時に河野くんに向かった。

 

「あれ、もうみんないないの?」

「終わったらさっさと散っていったよ」

 

山ちゃん先生が笑いながら答える。確かに、なんだかわずかでもこんなところにいたくないみたいな勢いでみんな帰っていった気がする。

 

「沢井さんだけ居残りなの?」

 

河野くんと目が合うと、出来の悪い子みたいな言い方されてしまった。

 

「河野、お前にも頼みがある」

「うわ、なんか嫌な予感」

 

引き返すように教室を出ようとした河野くんを山ちゃん先生が引きとめた。

 

「毎度のコンクール、お前も出品してくれ」

「あー、やっぱりそれか。沢井さんがいたから怪しいと思ったんだよね」

 

どき、っとした。

 

「沢井さん、引き受けたの?」

「余裕があれば、ということで」

「だよね。俺も同じ返事で」

「ああ、それでいいよ」

 

山ちゃん先生は河野くんのその返事を聞いて、ひと仕事終えたような顔をしている。

きっと河野くんも律儀に出品するんだろうな。

 

「沢井さん、もう帰る?」

「え、うん、そのつもりだけど」

「今日の講習のノートコピらせてほしいんだけど、時間ある?」

「あ、うん、大丈夫だよ」

「本田に頼もうと思ってたのに、あいつさっさと帰ってるし」

 

空席の本田くんの席を軽く睨みつけて、ため息をつく河野くん。

 

「あはは、腹減ったーとか言ってたからね」

「そーゆうやつだよな。ごめん、すぐ着替えてくる。汗だくだから気持ち悪くて」

「練習はもう終わり?」

「これ以上やると熱中症だって」

「そっか」

 

そうだよね。外の温度はさっきよりもぐんと上がっている。

河野くんが大慌てで教室を出て行くと、山ちゃん先生が、不思議そうな顔をした。

 

「おまえらって付き合ってんの?」

「まさか」

「ふーん、けっこう似合ってるのに」

「・・・先生、わたしじゃ河野くんにつり合わないですよ」

「そうかぁ?ま、いろいろ頼んで悪いが、よろしくな」

「はーい」

 

山ちゃん先生も河野くんのあとを追うように手をひらひら振って教室を出て行った。

けっこう似合ってる?どこが?

 

わたしと河野くんは学校のコピー機を使わせてもらうはずだったけれど、現在調整中ということだったので、市立図書館に来ていた。

あの後、わたしの予定を聞かれて、図書館の休憩&喫茶スペースでお弁当を食べてから勉強して帰るつもりだというと、河野くんも一緒に行くよと言ってくれた。

 

「さすが沢井さんのノート。俺、ラッキーだね」

 

なんだかこんなところまでつき合わせてしまって、しかも自分が理解できればいいと思って乱雑に書きなぐったノートが役に立つんだろうかと申し訳ない気持ちを抱えながら、河野くんの手元を静かに見つめていた。

こんがりと焼けた健康的な色。こんなにしっかりとした腕だっただろうかとふと思う。

小学生の頃、遠足や行事で一緒に手をつないで歩いたこともあった。あの時は背も同じくらいだったはず。いつの間にか男の子から男の人になっている河野くんが、まるで別人のように思えて少し戸惑った。

 

「ありがとう、助かったよ」

「いえいえ」

 

今度があるかどうかはわからないけれど、もっと丁寧に写そうとなんとなく思った。