【春夏秋冬、花が咲く】春うらら 恋人編 - 7/12

クリスマスの迫る月曜日、社長は「帰ったら一緒にクリスマスを過ごそうね。」と言い残し、香港へと飛び立った。

日程調整でこんな年末になってしまって、それまでも忙しく働いていた社長の姿に、この人は一体いつ休んでいたのだろうと不思議にさえ思う。

そういえば、忙しさのあまり話題にすらのぼらなくなったけど、伊豆への旅行はどうなったのかな。

まあ今の状態じゃ当分無理っぽい。

キーボードを叩く音が社長室に響く。

この部屋の主は、今いない。

社長室はこんなにも広かっただろうか。

 

柚葉ちゃんコーヒー、とせがみ、

コピーとってきてと、雑用を頼み、

電話の主がイヤで、居留守を使い、

あー疲れたな、とだらきった姿をさらす社長は、

今、ここにはいない。

 

たった1週間だ。

誰も座っていないちょっぴり高級チックな椅子をぼんやりと眺めながら、あたしは再びパソコンのモニターに目をやった。

なぜだかモニターがぼやけて見える。

その時初めて、あたしは自分が涙を流していることに気づいた。

「サイアク」

社内持ち込み用の透明なバッグからハンカチを取り出す。

自分の持ち物は個人情報保護のため、社内は持ち込めないからハンカチと貴重品とファンデーションだけ入れている。

「あたし、こんなにも社長が好きだったんだ・・・」

ハンカチで涙を拭き取りながら、ぽつり、と口にしてみて少しだけ恥ずかしくなる。

でも、ここには誰もいないから。

少しだけならかまわない。

 

「春樹さん・・・会いたいです」

 

その夜、電話がかかってきた。香港からの国際電話。

あたしの心を見透かしたような、優しい社長の声に、思わず涙ぐんだ。

あたしはベッドの上にごろりと転がりながら、受話器の向こうから聞こえる声に集中した。

社長の声はすうっと心にとけ込む感じがしてとても心地良い。

 

『柚葉ちゃんさみしい?』

「そうですね」

『あれ、今日はなんだか素直だね』

「社長、帰ってきたらお話があるんです」

『え、・・・な、なに?』

 

社長にとっては思ってもみなかった言葉だったのか、妙に動揺している声がなんだかおかしかった。

いつもいつも余裕な顔をしているから。

一体どんな顔をしているのか見てみたい。

 

「大切なお話なんでしっかり仕事して帰ってきてくださいね」

『ゆ、柚葉ちゃん?すっごく気になるんだけど?』

こんな甘い声で言われてもダメダメ、こんな電話越しじゃ伝えられない。

「帰ってきてからです」

きっぱりと言う。

『んー、じゃあ良い話か悪い話か教えて』

社長はよほど気になるらしい。

確かに逆の立場ならあたしも気になって仕方ないかも。

でもでも、いつも社長にいいように踊らされてる気がするから、たまにはあたしが社長を振り回してみたい。

 

「良い話だと思いますけど?」

『わかった。じゃあ、帰ったら聞くよ』

「はい。だから早く帰ってきてくださいね」

『柚葉ちゃん・・・』

「なんですか?」

『ホントに柚葉ちゃん?』

「・・・そうですけど?」

失礼な。

 

『なんかいつもと違う。素直すぎて怖いんだけど』

あたしが素直だとダメなのか。

ていうか自分でもさらりと口にしてしまってオドロキだけど。

電話越しだからかな。

「じゃあ、のんびりしてきてください。1人で社長室占領して優雅に過ごしますから。あ、高級コーヒー豆追加購入したんでゆっくり1人でいただきますね」

『えーーー』

 

あたしたちは何気ない世間話をして、気づいたら1時間も過ぎていて驚いた。

海外と日本と、随分離れた場所にいるのに、久しぶりにゆっくり話ができたのが不思議な感じだった。

 

「国際電話なのにすみません」

あたしがそう言うと、社長は別にたいしたことない、と笑っていた。

今夜は特に予定もないらしい。

『柚葉ちゃんの声を聞いてると、頑張ろうと思えるよ』

社長はいつものように恥ずかしい言葉を口にしながら名残惜しそうにしている。

電話って、切るタイミングがどうも難しい。

 

「社長、でもそろそろお休みになったほうが・・・」

『あ、柚葉ちゃんがさっさと切りたがってる。眠いのは柚葉ちゃんの方でしょう?』

「ええ?違いますよ!」

『そうかなぁ・・・』

「国際電話ってお金かかるじゃないですか!」

『最近はそうでもないよ?ここアジアだし』

国際電話なんてかけたことがないからよくわからないけど、そういうものなんだろうか。

「明日お仕事もあるんでしょう?」

『うん。でもそんな朝早く起きなければならないことはないし』

 

そんなこんなで結局2時間弱もしゃべりまくってしまって、ようやく受話器を置いた。

電話を切ったらいきなり静かな空間に戻って、あたしは自分の部屋を見回した。

就職が決まってから引っ越した1DKの部屋。

一人で住んでいて広すぎるなんて思ったこともなかったのに、妙に広く感じた。