【春夏秋冬、花が咲く】春うらら 恋人編 - 5/12

パソコンのモニターと手元の資料を交互に見ながらカタカタと入力作業をしていると、受付から内線が鳴った。

受話器を取ると、社長との面会を希望しているG社の方がお見えになったということ。指定時間より少々早いが通してもよいかという連絡だった。

あたしは社長室隣の応接室で弁理士さんとお話中の社長に指示を仰いだ。

 

「うーん、3時って言ってあったのにな」

社長は時計の針が2時半を指しているのを確認すると困ったようにつぶやいた。

「あ、私ならまたお伺いしますよ?」

まだ20代であろう若い弁理士の青年は笑顔でそう言ってくれる。

「いや、こちらの方が先約だったのだし、そういうわけにはいかないよ」

社長の態度に、G社の人との面会はあまり望んでいないものだったのだろうか、なんてちらっと思ってしまったけれど、あたしは表情を崩さず言った。

「待合室の方でお待ちいただきます?」

「ああ、そうしてもらえる?それから田中さんはお茶出ししなくていいよ。別の子に行ってもらって」

お客様の前では仕事の顔で徹底してあたしを田中さんと呼ぶ。

「お茶くらい出しますよ。そんなに忙しくないですし」

そんな完璧な社長に負けたくなくてあたしも必死で仕事の顔をしてみせる。

よくここへ来る弁理士さんはもう顔なじみではあるけれど、やはりここは会社であってどこかの飲み屋の常連というわけではない。「あーお久しぶりですね。今日は社長にご用事ですか」なんて砕けた会話は絶対にできない。

 

「G社の部長は田中さんがよくご存じの方だからね。できれば顔を合わさないでくれたほうがありがたいかな」

社長は小声であたしの耳元で囁いた。

あたしの頭はクエッションマークだらけだったけれど、「かしこまりました。お取り込み中失礼しました」と営業スマイルと丁寧なおじぎを残して応接室を出た。

顔を合わせるな、だと?

一体なんなの。

と思ったけれど、その理由はすぐにわかった。

 

待合い室に通される、そのG社の部長とやらの顔を見た瞬間、あたしの身体は凍り付いた。

新山麗香だ。

いつぞやのお食事会で一緒して、その色香をぶんぶんと社長に向けて振りまいていた女。

なんでこんなとこにくるわけー!?

あたしは社長室に戻ると秘書課の子に誰でもいいのでお茶を持っていってもらえるようにお願いした。

あたしにできるのはここまでだ。

確かに顔は合わせられないかも。

だってあの時、社長はあたしのことを恋人として紹介したのであって秘書として紹介はしていない。いやまあ、あれから本当の恋人になってしまったけれど、恋人が秘書なんてちょっとマズイのではなかろうか。

それを知ってて社長はあんなことを・・・ていうかもっと早めに教えてくれればいいものを!

見つかったらどうするつもりだ!

ていうかなんであの女がこの会社にくるのかがわからない。

あの女、確か健康食品とかダイエット食品とかを扱う通販専門の会社に勤めてるとか言って・・・あたしは一生懸命記憶を辿って考える。

あーーー、G社。

そうか。G社ってどこかで聞いたと思ってたんだ。

G社ってけっこう最近話題を呼んでる会社だし、そこそこ大きな会社だと思う。

あの新山麗香ってそんな会社の部長!?

そんなにスゴイ女だったのか。

確かにできる女だとは思っていたけど部長だとは。

だって30かそこらでしょ。社長とたいして歳がかわらないはず。

うわーうわー。何?もしかして社長が個人的に会ってくれないものだから、仕事と称してここまで乗り込んできた、とか?

まさかねー。いい歳した社会人がそこまではしないよね。

と思いつつも気になってしまうわけで。

 

「何やってんだ?」

「うわっ」

ドアの前に耳をすまして張り付いていたあたしを思いっきり驚かせたのは副社長の声。

「副社長、お戻りですか。おほほほ」

あー、なんて不自然な・・・。

動揺して思わず変な声をあげてしまったあたしを見て眉をひそめる副社長。

「客?」

「ええ、まあ」

「そんなに気になるなら同席すれば?秘書なんだし」

「いえ、そういうわけにはいかないのです」

見下ろす副社長の視線が怖い。

明らかに紀美ちゃんを見つめる優しい眼差しとは違う。当たり前だけど。

「ふーん。わけありなんだな。ま、がんばれよ」

「え」

ちょっとちょっとちょっと。

あたしはその場を去ろうとする副社長のスーツを背中からがしっと掴んだ。

 

「ま、待ってください!」

「なんだ?」

「え、えーっとG社の方ってよくお見えになるんですかね~?」

「は?」

「いや、あのえっと」

どういえばいいのだろう。

副社長を引き留めてみたものの、あの新山麗香のことなんて知るはずもない。

だいたいあたしが秘書になってからG社の人との面会なんて初めてなのだ。

「G社の人が来てんの?今」

「ええ、まあ。新山麗香っていう部長さんでものすごい美女なんですけど」

美女って言えばくらいつくだろうと予想して(紀美ちゃんゴメン)ものすごい、と付け足してみたものの、副社長の反応は少し違っていた。

 

「・・・。新山麗香ってあのエロい顔した女?」

「え、ご存じなんですか?」

エロい顔した女という表現もどうかと思うけど。

「知ってるも何も、以前俺に色目使って近寄ってきてた女だろ」

「ええーーー!」

「直接誘われたことはないけどな。へー、今度は春樹狙われてんのか。あの女もそろそろ焦って数打ちゃ当たるとでも思ってんのかね」

どーゆうこと?

なんなの?

あの女、副社長も狙いつつ社長も狙ってるってこと?どっちか手に入ればいいや、みたいな?

 

「どこぞの御曹司もつきまとわれてたみたいだしな。いろんな意味で有名な女だろ。大手の会社のパーティには必ずいるしな」

「ほ、ほーーー。スゴイですね」

「プライドが高くてね、自分より高学歴で、高い地位にいて、顔のいい男としか付き合わないらしいな。ま、頑張ってネ、ユズハチャン?」

「は、はい?」

 

副社長はそれだけ言い残すとクククと嫌みな笑いを残してさっさと去っていってしまった。

何が、頑張ってネ、ユズハチャン、だ!!

変な情報だけ残して去っていくなー!

と心の中で叫んでみたけど、副社長は帰ってはこない。

あたしは大人しく再びドアに耳をあてて中の会話を聞き取ろうと必死になる。

あーいやだ。気になる。

一体何を話してるんだろう。

仕事の話をしに来たわけだから、そんな変なことにはならないのはわかってるけど、副社長の意味深な発言にますます気になって仕方がない。

 

中ではどうやら次に会う約束をしているらしいことがなんとなく分かって、あたしはふいに腕時計を確認した。

そうだ、今日は会議だから、この時間に面会は切り上げておかないといけない。

なんとなく時間が延長されずに済んでほっとしている自分に気づく。

応接室から出てくる二人とかち合ってしまってはマズイ、とあたしはそそくさと社長室に戻って自分の椅子に座った。

ああ。

一体何をやっているんだろう、あたしは。

思わず新山麗香が現れたので、自分の仕事もほったらかして時間を無駄に過ごしてしまった。

サイアクだ。

 

だけど、あたしは諦め悪そうに社長の電話番号を聞きたがっていたのも、食事の時にあたしのことなんてまったく眼中に入れずに社長に話しかけていたことも知っている。

副社長の言うとおりいろんな男の人にそんな風にしてるんだったら、社長だって狙われてる男のうちの一人で・・・。

あーー!!

なんで仕事中にこんなことで悩まなきゃいけないの!

 

頭をかきむしりながらあたしは目の前の書類をめくり始める。

けれどちっとも頭に入らない。

今日の会議の資料なのに。

 

がちゃり。

重たい社長室の扉が開いて、社長が戻ってきた。

「おかえりなさい」

「・・・ただいま・・・ってなんか怒ってる?柚葉ちゃん」

「いいえ、別に」

「怒ってるでしょ。お茶を別の子に頼んだこととか?それはね、理由があって・・」

「新山麗香さんでしょう」

「ああ、知ってたの」

「ええ、ちらっと姿が見えましたので」

「そう。取引なんてすることないと思ってたんだけどなー。別に知られてもいいけど、いろいろめんどくさいことになると困るからね」

「そーですね。お茶でも淹れてきますね」

なんとなくまともに顔を合わせづらくて、あたしは立ち上がる。

 

「柚葉ちゃん」

「な・・・」

社長はあたしの手を握るとそのまま力を入れて思いっきりあたしの身体を自分の方へと引き寄せた。

「ななな何するんですか!勤務中ですよ!」

「うーんお仕事が手につかないような環境はよくないからね?」

「えっ」

考える間も言葉をしゃべる間もなく、あたしの唇はふさがれた。

「んーーーーー」

力を入れて放れようとするけれど、それ以上の力で抱え込まれる。たかだか女一人の力では到底かなわないことを既にわかってはいたけれど、あたしはできる限りの抵抗を試みる。

ああ、もうだめ。

力を抜いた瞬間に社長の熱い吐息が流れ込んでくるのを感じて、あたしは観念してそれを受け入れる。

激しい口づけを交わしながら、ああ、口紅塗り直さなきゃ・・・なんてぼんやりと考えた。

「うあっ。だ、だめっ」

社長の大きな手のひらがあたしの胸元に触れた瞬間、我に返って思いっきり社長を突き飛ばした。

 

「なにするの。ひどい、柚葉ちゃん」

「だ、だって、社長、今変なことしよーとしましたっ」

「別に変な事じゃないよ。ただの男女の・・・」

「ぎゃああああ。それ以上は言わないでください!だいたいココは会社です!社長室です!職場であって勤務中!」

「ここに監視カメラはないよ?」

監視カメラなんてあったら大問題だっ。

「そーゆう問題じゃないですからっ!」

あたしは大声でそう叫ぶと給湯室の方へと向かった。

背後で社長が大笑いしているのが聞こえてきて、あの人はどこまで本気なのだろうと恥ずかしさでいっぱいになった。

社長はあたしが新山麗香を気にしていることをわかっていてあんなことをしたんだろうけれど、ますます仕事が手につかなくなったのは言うまでもない。