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異様な空気・・・なんと居心地の悪い空間なんだろう。
新山麗香はあたしの淹れたお茶を少し飲むと、ふぅ・・・と軽くため息をついた。
「私ね、春樹さんとのご結婚真剣に考えておりますのよ」
「け、結婚ですか?」
うわー、いきなり結婚とか言い始めたよ、この女。おつき合いとかじゃなくて結婚。一生の問題をさらっと言ってるところがまたすごい。
呼び止められた時は、何かしらあたしに話があるのだろうことは予想してたけど。
「そうよ」
社長はそんなこと一言も言ってないけど、本当のところはどうなんだろう。言われてはいるけど、あたしを心配させないために何も言わなかったのだろうか。
しかし、態度でかいな、この女。
社長の前ではきっと、もっとかわいいふりをしているんだろう。
「新山さんは春樹さんのこと・・・その愛してらっしゃるんですか?」
「・・・愛して、ですってぇ?そんなことあるはずないじゃないの」
「は?」
何を馬鹿なこと言ってるの、と言わんばかりに呆れた顔をして笑いはじめる新山麗香。
一体何が言いたいんだろう、この女は。
「好きでおつき合いするなら恋人でかまわないでしょう?結婚は一生の問題なのよ。私に釣り合う完璧な男でないと困るのよ」
「・・・」
当然のような口ぶりに圧倒される。
正気か、この女。
「これだからお子様は困るわね。貴方おいくつ?」
「もうすぐ24に・・・なります」
「あら、やっぱりお若いのね。仕方ないわ、愛や恋だと言って結婚に憧れる年ですものね。でも夢を壊すようで悪いけど現実はそんなに甘いものではないのよ?いろんなことに割り切ることができなければ結婚生活なんて長続きしないの」
「はあ・・・」
「まあ、まだ分からないでしょうけどね」
クスクスと完璧に化粧で整えた美しい顔で嘲笑っている。
結局何が言いたいわけ。あたしが不釣り合いだとでも言いたいのだろうか。
ただの恋人なら手を引けと。
「新山さんは私に別れろとおっしゃいたいんですか?」
「まさか、そんなことを言いたいのではないの。春樹さんとのおつき合いはこれまでどおり続ければいいわ。けれど私と彼が結婚することを了承していただきたいの」
「ど、どうゆうことですか?」
な、なに。なんなの。この人。
あたしにはこの人の言ってることが全く理解できないんですけど。
いい大人だったら理解できるの!?
あたしの経験不足?!
「私は結婚相手のプライベートには口出ししない主義だし、口出ししてもらいたくないの。私は彼が公の場で私に釣り合う完璧な夫をこなしていただければ問題ないのよ。男の人が浮気をすることなんてわかり切っていることでしょう?そのようなことを細かく問いつめるようなことはしないわ」
あたしは彼女の言わんとしていることを必死で頭の中で整理していく。
つまり?要約すると・・・世間体として、単に完璧な夫が欲しいだけ?
なので、浮気しようが何しようが、トラブルさえ起こさずうまくやってくれれば干渉しないということなのか?
浮気公認の結婚て、聞いたことないんですけどー!
なに?あたし世間知らず?
もしかしてもしかしなくても世の中にはこんな人ありふれてるわけ?
んなわけあるかー!!
あたしは紀美ちゃんの幸せそうな笑顔を思い浮かべながら、完全否定する。
紀美ちゃんの横に立つのが副社長というのはちょっと気に入らないけど、結婚する二人あんな風に穏やかで柔らかい雰囲気が二人を包んでいて、こっちまで幸せのお裾分けをしてもらえるような、そんな関係だ。
あたしたちがそんな雰囲気にあるかどうかは謎だけど、少なくとも愛は・・・あるはず。
あたしの中で何かがプツリ、と切れる。ふつふつとわき上がってくるものを感じた。
「社長は・・・、春樹さんは愛のない結婚なんて望んでいないと思います」
こぶしをぎゅっと握りしめ、目の前の新山麗香をしっかりと見据えた。
あたしが反論したことに、新山麗香は少し驚いているように見える。
どうせ何もできない夢見がちな若い社員とでも思っているのだろう。確かにそれは否定できないけれど。
新山麗香は、ふっと笑った。
「どうかしらね。体裁を気にするのは男性の方だと思うわよ?恋人として連れ歩いたり愛人にするのはいつも若くて可愛い従順な女の子でしょう?」
「そういう男性もいるかもしれないですけど、春樹さんはそういう人じゃありません」
「あら、ムキになって可愛らしいのね」
私がその愛人にするような従順な女の子だと言いたげな瞳。
なんであたしが社長の愛人なんかしなければいけないわけ。
「貴方、もう少し恋愛を経験した方がいいと思うわよ。そんな若いうちにたった1人の男の人に夢中になってると痛い目に合うから」
夢中?
あたしは一方的に社長に恋いこがれているわけではない・・・。
社長だってちゃんとあたしのことを想っていてくれるんだし。
「そうですね。あなたのおっしゃるとおり、私は恋愛経験豊富ではないし、社会人になってまだ2年目です。けれども、春樹さんがそんないい加減な付き合いをしているとは思いません。あなたのおっしゃってることは春樹さんに対する侮辱です。春樹さんは世間体や周りの目を気にして女性と付き合いをするような方じゃありませんから」
「な・・・」
はっきりとそう言い切ったあたしの言葉に、新山麗香の顔色が少し変わる。
侮辱だと言ったことが彼女のプライドの琴線に触れたらしい。
「何も分からない子どものくせに生意気なことをおっしゃるわね」
「人生経験豊富な方からみればお子様かもしれませんが、私は自分の言っていることが間違っているとは思ってません。あなたの結婚に対する考え方を否定するつもりはありませんが、同じような考えの方をお探しになってください。春樹さんはあなたみたいな人と結婚するはずありません」
あたしは思わず大声をあげて立ち上がり、新山麗香を睨みつける。
「馬鹿な子ね、浮気されて痛い目に合って初めて自分の愚かさを知るのよ」
新山麗香の吐き捨てるようなセリフに一瞬だけ、あたしは彼女の本当の姿が見えたような気がした。
けれどすぐに彼女の仮面は元に戻る。そう簡単には崩れてくれないらしい。
もしかしたらこの女は浮気されて深く傷ついたことがあるのかもしれない。
けれど、だからといって、すべての男の人を同じように判断してしまうのは、やっぱり許せない。
人はひとりひとり違う価値観を持っているのだから。
その瞬間、ドアがノックされる音が部屋に響いた。
入ってきたのは紛れもなく、この会話に出てきた張本人だった。