【春夏秋冬、花が咲く】春うらら 出会い編 - 5/6

連れてこられたのはごく普通の居酒屋だった。

うん。ここならあんまり緊張しなくてすみそう。

また、とんでもない高級料理の店でも連れてこられたら、なんて思っていたけど。

 

「社長でもこういう店に来られるんですね?」

「柚葉ちゃんさ、僕のことなんだと思ってるわけ?」

「え、会社の社長」

「・・・あのさ、社長って言っても、10年くらい前までは普通の会社員やってたんだし。その前は普通に大学生だったんだよ。父親の会社を継いだってわけでもないし、そんな御曹司とかお坊ちゃまでもないよ」

「あ・・・」

 

そっか。そういえば副社長と起業したって。

実は社長って庶民派なのかな。

 

「す、すみません」

 

なんとなく会社の社長ってイメージが金持ちの御曹司って感じだから、どうしてもそう思ってしまうんだよね。

「別にいいけど」

ちょっと拗ねたような態度の社長を見て、なんだか可愛らしい、と思ってしまう。

 

「まあ、こういう立場にいるとどうしても先方に合わせて高級料理の店とかリサーチしなきゃいけないんだけどね。そういうのもヨロシクね」

「は?それも仕事ですか?」

「そう。だから気になるお店発見したら教えて。一緒にいってリサーチするから」

「あたしも行くんですか?」

「当たり前でしょう、秘書なんだから付き合うこと。別にいいでしょ。ただでおいしいもの食べれるんだから」

「はぁ、まぁ・・・」

 

そう言われてみればそうか。

友達とならそうそうそんな高級料理の店なんて行けるわけないし。

って、ちょっとまて。

なんであたしこんなに社長の思うつぼになってるわけ!?

そうよ、今日はとんでもない役までやらされて。あたしがはっきりしないからってずるずるずるずるとっ。

考えていくうちにだんだん腹が立ってくる。

あたしは目の前に並べられた食事に片っ端から箸をつけていった。

こうなったらガッツリ食べてやるぅ。

 

月曜の朝、化粧室で身だしなみチェックをしていると、あたしの後ろには怖い顔をした先輩社員のおねーさま方が3人並んだ。

ああ、ついにきた。

「ねえ、なんでアナタ辞めないの?」

辞めないの?と言われても・・・。

「今までねぇ、社長秘書やって長く続いた子いないのよ」

はあ、そうですか。

「一体何が目的なわけ?」

目的って・・・。

「まったく、なんでアナタみたい素人が社長秘書なのか意味がわからないのよ。私の方が秘書経験だってあるし・・・」

ええ、それに美人ですしね。

「私もわかりませんけど・・・言われた仕事をしているだけです」

「はあ?なによそれ」

「つーか話にならないわよ。この女」

「さっさと辞めなさいよ」

「いえ、それは・・・できません。生活ができなくなるので」

とりあえず本心を言っておく。

「だったら社長秘書やめなさい」

「じゃあ、社長に直接そうおっしゃってください。新人同然の私にはあまり発言権はないので。私もできれば元の部署に戻りたいんです。先輩方の言うことなら聞いてくださると思うのでお願いします」

「ばっかじゃないの」

ヤバイかも。と思ったが、正論だったようで、おねーさま方はそのままにらみつけたような視線を残して去っていった。

はー。

だからイヤなのよ。

 

化粧室から出ると、副社長が笑いをこらえたような顔をして立っていた。

「君、サイコーだね」

立ち聞きか、コイツ。ホント悪趣味だわ。

「助けてやろーと思ってたのに・・・ククク」

「あの、そろそろ始業なので失礼します」

もうこんな男は無視だ。なにが助けてやろーかと、だよ。あんたたちのせいであたしがこんな目に合うのよ。あたしはただ地味に仕事をして給料をもらいたいだけ。

「待てよ。あいつらには一応釘はさしといたから、もうないと思うけど。秘書は辞めさせないからな」

「はあ、そうですか。では」

あたしが去った後も、副社長は絶対笑っていると思った。

社長室にいくと、いかにも眠そうな社長が大あくび。

オイオイ、社員の前なのに。

「おはようございます、社長。昨夜はごちそうさまでした」

とりあえず笑顔で、そう言っておく。仕事だから。

「おはよう~。今日も暑そうだね」

「そうですね」

あたしはデスクのパソコンの電源を入れると、朝一番の仕事、コーヒーを淹れにいく。コポコポという音とともに鼻をつつく、独特の香りがたまらなく好き。さすが高級豆。社長秘書になって一番良かったこと、って言ったら、これかもしれない。

毎日インスタントじゃなくて本格派コーヒーが飲める特権。

普通のコーヒーメーカーじゃなくてエスプレッソマシーンだもんなー。

 

あたしが社長室に隣接する専用の給湯室でニヤニヤしていると、ふと影が立つのがわかった。

「柚葉ちゃん」

「社長?どうかされました?コーヒーならもうすぐできますけど?」

「いや、ごめんね」

「は?」

「今、速人からきいたよ」

「速人?」

「副社長」

速人って副社長の名前だったのか。相変わらずあたしって上司のフルネームを覚えてないのね。ていうか、普段そう呼ばないんだから仕方ないんだけど。

「・・・なにをですか?」

「さっき。なんか言われたんだって?」

「・・・」

ふーくーしゃちょー。ちくったわね。あの野郎。

「別になんでもないですよ?」

「本当にごめん」

「えっ」

その瞬間、あたしは何が起こったのかよくわからない状態だった。

ちょっと待て。なんだこれは。あたし、もしかして、だ、抱きしめられてる!?

 

「しゃ、社長、勤務中ですよ!」

「勤務時間外ならいい?」

そーゆう問題じゃなくて。

「セクハラです!!」

「あー、そうか。ごめんごめん」

社長はそう言うと悪びれた様子もなく、するっとあたしから手を離すと何事もなかったかのように社長室に戻っていく。

あたしはその後ろ姿を見送りながらただ呆然とするしかなかった。

な、なんだったの!?

その後も社長はいつもどおり。

けれど、あたしの心は一日中そわそわしていて、社長から名前を呼ばれる度にドキドキしてしまった。

なんてこと。

23歳で仕事経験も恋愛経験も豊富でないあたしには、刺激が強すぎる。これが大人の女ならうまくかわして何事もなかったかのようにできるのだろうか?会社ってこんなものなのだろうか?あたしが知らないだけ?

その日の仕事はもうほとんど上の空だった。

 

「柚葉ちゃん」

「え?あ、ハイ」

「来月頭の京都まで出張さ、一泊するから宿の手配よろしく」

「あー、ハイ。いつものホテルでよろしいですか?」

「うん」

「柚葉ちゃんもね」

「ええ?」

「慣れてきたでしょ?仕事。だから一歩前進。京都での打ち合わせに同行してもらうから」

「はあ・・・」

 

そうか、いつも誰かが同行はしていたけど、そういうのって秘書の仕事でもあるのか。

あたしはあまり深く考えず、出張の時はいつもやっているように、スウィートルーム1室とシングル1室を確保する。それから新幹線。もちろんグリーン車だ。

ふと営業の田端がよく出張で出かけているのを思い出す。

あたしは事務だから、出張なんて永久無縁だと思ってたけど。

京都に会社のお金でいけるのだと思うと、なんだかワクワクしてしまう。いや、もちろん仕事なんだけどさ。おみやげ買う時間くらいあるよね。

なんて、あたしは本当にお気楽に考えていた。