【春夏秋冬、花が咲く】春うらら 出会い編 - 2/6

社長室へ来るように。

と言われ、なぜ?とも聞くことができず素直に従うしかないあたしはいつもなら絶対に来ることのできない場所に呆然と立っていた。

 

「はい?」

 

あたしは耳を疑った。

目の前には社長が座っている。

その横には副社長が不適な笑みを浮かべて立っている。

今、なんとおっしゃいました?

と聞き返すまでもなく、副社長が言葉を発した。

 

「だから、田中さんに社長秘書やってもらえないかって言ってるんだよ」

 

やんわりと言っている割にはなんだか強制的な言い方に聞こえる。

社長秘書?

 

「ど、どうして私が・・・。4月に移動はなかったハズですけど、私」

「んー、急に辞められちゃったからね。田中さんなら問題ないと思って」

 

社長が口を開く。

 

「問題ないって・・・。問題ありですよ。私経理ですよ?社長秘書なんて経験ないですし、もっとベテランの方とか秘書課の方に頼まれた方が」

「田中柚葉」

「は、はい」

 

副社長にフルネームで呼ばれ、思わず返事をしてしまう。

早くこの空間から逃げ出したい気分だった。

 

「履歴書には秘書検定1級と書いてあったけど?」

「あ、ハイ。一応・・・」

 

確かに大学時代、少しでも就職活動の役に立てばと取っておいたものだ。

けれど別に秘書になりたくて取ったわけではない。

あくまでも就活の為。

 

「課長の話では電話応対のマナーもきっちりできているそうだし、データ入力も早いそうだな」

 

副社長の言葉に、あたしは何も言えない。

確かに、電話は大学時代にテレアポのバイトをしていたので、応対マナーはいいかもしれないし、しかもパソコン入力しながらの仕事だったので、データ入力もブラインドタッチ程度にはできる・・・けども。

 

「全く問題ない」

副社長ははっきりとそう言いきった。

 

「突然でびっくりしたと思うけど、田中さんが適役だと思うんですよ」

きつめの副社長をフォローするかのように社長がやんわりと伝えてきた。

「あと、お前、俺たちには興味ないんだろう?」

「は!?」

 

お前、と言われたことよりも副社長の言葉に、唖然とする。

今、何を言った?この人は。

「秘書、というと必ず俺たちのどっちかを狙ってくる女が多くてね。まったく困るよ。私生活と仕事を一緒にしてほしくないんだが、何を勘違いしているのか勝手に言い寄って来て失恋して辞めていかれる。以前は既婚女性が秘書を務めていてスムーズだったのに、昨年末に子どもができて辞めてしまってね、それで適当に秘書課の社員の女の子に声をかけたらこんな結果なわけ」

「はぁ・・・」

あたしは副社長の言葉に頷くことしかできない。

 

「お前は、社長なんか絶対ヤダ、なんだろ?顔がいいだけの男は何考えてるかわかんない?だっけ?」

げえ!?

き、聞いてたの!?

確かに、そういうようなことをいつかのお昼休みに言っていたような気がするけど、まさかその言葉が副社長の口から飛び出すなんて夢にも思ってなく。明らかに悪口でしかないその発言を、まさか。

「一応、社内のことは把握しておかないといけないだろ。地獄人事で申し訳ないが」

副社長はニヤニヤと笑っている。

この人、絶対性格悪い。

あたしはこの瞬間確信するが、同時に逃げ場がないことも確信した。

つまり、資格もあって、仕事もとりあえずこなせて、社長や副社長にヨコシマな下心のないあたしは社長秘書としてやっていける。

そういうわけであたしが今ここにいるのだ。

あの日、新歓の日に社長があたしを見ていたのは、もしかしたらこのことがあって、あたしという人物を把握しておきたかったからではないだろうか。

 

「とりあえず、社長秘書兼時々付き人、もちろん給料は今よりも多少アップ。悪い話じゃないと思うけど?」

「拒否権は?」

「ない」

「じゃあやるしかないじゃないですか」

「よくわかってるじゃないか。じゃ、俺は仕事があるから、あとは春樹と話つけてね」

 

春樹・・・って、社長か。藤原社長としか頭にはないからなんか変な感じだ。

やっぱりこの二人は仲がいいのだろう。

副社長は社長とあたしに聞こえないように少し話をして社長室を出て行った。

あたしとすれ違うとき、やっぱり顔には不適な笑みを浮かべていて、それは勝ち誇ったほうな顔をしていた為か、あたしは思いっきりにらみつけてしまった。

まさか副社長があんな性格だとは思わなかった。

ああ、やっぱりイケメンは性格悪いのよ、なんて改めて思い知らされる。

この涼しそうな無口の社長だって、アイツと仲がいいってことは相当性格は悪いんだろうな。そんな社長の秘書だなんて。あたしはサイアクだ。

けれど入社2年目でさすがに辞めるわけにはいかないし。

やっと自立できて一人暮らしを満喫できているのに、こんなとこで無職にはなれない。

 

「田中さん」

「ハイ」

「よろしくお願いします」

 

あ、社長が笑った。

珍しい。

副社長と違ってこの人はあまり表情を崩すことがないのに。と言ってもほとんど見かけることもないのだけど。

副社長とは違って誠実そうな笑み。

けれど、騙されないぞ。

「初めてですので、わからないことも多いかと思いますが」

とりあえず目上なので、丁寧に答えておく。

 

「最初は誰でも初めてですから気にしないでくださいね。えっとそれから」

「はい」

「下の名前で呼んでもいいですか?」

「え?」

「ほらうちの会社、営業部の部長も田中さんだから、ややこしいでしょう?」

「ああ、そういうことでしたらかまいませんけど」

「じゃあ、柚葉ちゃん」

 

は!?

なんでちゃん付けなの。ちゃん付け。ここ会社ですよ?

確かにこの人からしたら23歳のあたしなんてかなり年下でお子様かもしれないけど、一応社会人なんですけど。

と思ったけれど、社長に逆らう勇気はないので、黙っておく。

 

「さっそくだけど、柚葉ちゃん、仕事内容伝えるので、隣の応接室に行きましょう。立ちっぱなしだと疲れるでしょう?」

「はぁ・・・」

 

そんなわけで応接室に強制的に連行され、普通なら絶対に座ることができないであろう高級ソファに座らされる。

 

「あの、お茶を用意したほうがよろしいですか?」

一応尋ねてみる。

社長はあたしの発言に少し驚いたように目を見開いたが、じゃあ二人分お願いします。と笑顔で言った。

あたしはおそらくお偉い様専用と思われる給湯室で適当にあさっていると高級茶葉を発見し、それを使った。一応コーヒーもあったけれど時間がかかりそうなので日本茶にしておいた。

 

「おいしいね。柚葉ちゃんにはあまり指導することがなさそうなので安心ですよ。今時の子はお茶すらまともに淹れられないようなので来客の時には困るんです」

「はあ、そうですか」

 

とりあえず頷いておく。つーかお茶も淹れられないような社員を採用してんのは誰でしょー・・・とは口が裂けても言えない。

それから社長は、丁寧に仕事内容をあらかじめ用意してあったマニュアルをあたしに渡し、簡単にそれらを説明してくれた。

とりあえず主にやることは、社長のスケジュール管理、電話応対と社長の来客応対だった。

経理の仕事はそれなりに楽しかったし、部署の子たちとも仲良くやっていたので社長室で二人きりで仕事をするのはなんだか憂鬱な気分だ。こんなだから期待しちゃう女の子だっているんだわ。秘書室くらい作れよ・・・って思っちゃうけど。

いやでも、社長は外に出てることも多いから、社長室で一人で仕事をすることになるのだろう。

しかも、明日からさっそくお願いします、なんて言われてしまい、説明の後は経理の自分のデスクに戻って引っ越し準備。

 

「社長秘書だって?うらやましすぎる」

隣に座っている2つ先輩の紀美ちゃんがぼそぼそと声をかけてくれる。部署の中では一番仲がいい女の子。

「だったら替わってよ。絶対先輩女子社員に恨まれそう」

「あはは、確かにね。それはかわいそうだけど」

「ああ、もう憂鬱きわまりない」

「ガンバレ。ていうかいろいろ情報待ってるよん」

 

紀美ちゃんは素敵な彼氏とすでに結婚間近な為か、他の女子社員のようにきゃーきゃー言ったりはしない。たった2つ年上なだけなのにとても落ち着いていてホントに頼りになるお姉さんだった。

入社した頃も随分助けられたし。

あたしは荷物をまとめると、課長に挨拶をする。一応部署も秘書課所属になるからだ。

別に辞める訳じゃないけれど、なんだか淋しい感じだ。

課長は憂鬱なあたしをよそに「がんばれよ~」なんて軽く言ってくれる。ああ、絶対コイツは知ってたんだ。知っていてぎりぎりまで黙っていたんだ。そう思うと妙に腹が立つ。

そうしてあたしは女子社員の冷たい視線を浴びながら社長室へと向かった。