【春夏秋冬、花が咲く】冬の小鳥 - 11/12

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ホテルのラウンジに林葉怜司がいるはずだった。

15分遅刻。

待っているはずはないだろうと思ったけれど、その姿は確かにあった。

ラウンジのソファに座って雑誌を読みながら、カップを手にしているのは紛れもなく婚約者だった。

食事だけだから、そう自分に言い聞かせて、私は林葉の元へ向かおうとした。

「怜司!」

私よりも先に声を放ったのは、見たことのない可愛らしい女の子。この間一緒にいた女の子とも違っていた。

くるくるに巻いた栗毛のよく似合う、目のぱっちりとしたとても印象的な子だ。私は咄嗟に後ろを向いて、大きな鉢植えの陰に身を隠す。

 

「本当に良かったのー?婚約者と食事だったんでしょ?」

周りには待ち合わせをしている人たちがたくさんいたにも関わらず、彼女の甲高い声が妙に響いていた。

「いいよ別に。仕事らしいから。」

「こんな日に仕事?サボっちゃえばいいのにぃ。ってそしたらアタシ、ここに来てなかったね。あは。婚約者の仕事に感謝だね。」

 

会話の声が大きくなるにつれて、彼らが近づいてくるのがわかった。

これから食事に向かうのだろう。

おそらく、私が仕事で来れないだろうと、思い、彼女を呼んだのだ。

あの男らしい。

私は見つからないように大きな柱の方へ移動しようとした。

もう、帰ればいいだけだ。

 

「どーせ食事の後はお前と会う予定だったんだし、な。」

「怜司もヒドイよねぇ。」

「結婚するなら大人しくて謙虚でつくしてくれる都合の良い女だろ。あの女なら文句ひとつ言わないだろうよ。俺が浮気しようがなにしようがな。なにせ、あいつの親は俺の親父から金を借りてんだぜ?」

「それヒドイ~。それで怜司は遊びまくるんでしょ?サイテーだよねぇ。」

「そんなサイテーの俺と付き合ってる君は?」

「アタシもサイテーの仲間?」

 

耳障りな声だった。

大声でそんなことを言わなくてもいいのに。

雑踏にかき消されてしまえばよかったのに。

さっさと帰ってしまえばよかったのに。

いや、その前に、仕事をもっとゆっくりすればよかった。

あの人に女がいることくらい知っていた。愛のないこともわかっていた。

だから別に、私のかわりにあの女の子が現れたところで別に驚きもしなかった。

それなのに、こんなにショックなのはきっと、あの男がここまで人として最低だとは思っていなかったから。

 

仲良く腕を組んでエレベーターホールに向かっていくその後ろ姿を呆然と眺めていた。

 

「あんな男と結婚しても、幸せにはなれないな。」

その声に私は後ろを振り返る。

なぜかいるはずのない、彼の姿に私は、思いっきり顔を背けた。

速人さんは、私を送って帰ったはず。

いや、帰ったようにみせかけて帰っていなかったのだ。

 

こんなところを見られるなんて。

きっとさっきの会話も全部聞いていたんだと思った。

 

「行こう。」

「行こうって?」

「アイツのところ。」

「ええ!?」

「本当はそのつもりだったから。紀美香とあの男の食事中に乗り込むつもりだったんだよ。手間が省けたというやつかな。」

「どうして・・・。」

「話がある。君と、あの男に。」

彼は低い声でそれだけ言うと、私の腕をひっぱって早足で歩いた。

何か、怒ってる?

慣れないヒールの高い靴を履いているせいか、私はついて行くのがやっとだった。

 

「林葉怜司さん。」

速人さんは隣のエレベーターから現れた林葉の姿を見つけると躊躇することなく声をかけた。

先回りするつもりはなかったけれど、どうやら階下で他のお客が乗り降りしていたのか、同時に最上階のレストランについたようだ。

 

「紀美香?・・・ってか、アンタ・・・こないだの。」

林葉は私の姿を見て少し驚いていたようだったけど、視線はすぐに呼び止めた声の主に向けられた。

「林葉さん、貴方に少しお話があるんですよ。お時間いただけますか?」

「レストラン予約してるんだよねー。」

速人さんの仕事で使う時の丁寧な言葉に対し、林葉はなんとも砕けた返事をした。

「お食事しながらでかまいません。少しだけ同席してもよろしいですか?時間は取らせませんよ。その後は彼女との食事を十分に楽しんでいただければ。」

速人さんはちらり、と林葉の腕にからみついている女の子を見て言った。

「やだぁ、かっこいいじゃん。怜司知り合い?」

彼女の浮かれた声に舌打ちすると、かなり迷惑そうに林葉は答えた。

「少しだけならな。」

 

速人さんがレストランスタッフに何やら声をかけていると思ったら、私たちはそのまま端の方の4人掛けの席に案内された。窓際の、夜景の一番綺麗に見える場所だった。

座った瞬間に林葉が口を開く。

私は終始無言だった。

いわゆる修羅場というやつでは、なんて思いつつも速人さんがいてくれることが妙に心強く感じている。

けれど、速人さんの話、とは一体なんだろう。

はっきり言って、私と婚約者とその彼女がそろってる時点で気まずいのに・・・。

 

「つーかアンタ一体なに?」

「失礼しました。これを。」

速人さんは名刺を取り出すと林葉に手渡す。その瞬間林葉の顔色が少し変わったのがわかった。

「副社長だったのか。へー。」

「ええ、それと、前に申し上げたように恋人に志願中なんですよ。」

 

一体何を言ってるのだろう。

「まーいいや。で、話ってナニ?」

「紀美香との婚約を解消していただこうと思いまして。」

顔はにっこりと笑っているけれど、心は笑っていないと思った。

「は、速人さん・・・。」

私は思わず小声で彼に声をかける。けれど、彼は大丈夫だよ、と手で私を制した。

 

「貴方には可愛らしい彼女が何人もいらっしゃるようですし、その方が都合がよろしいでしょう?親同士が決めた婚約など今時めずらしい。」

「うっそぉ、可愛らしいだってぇ。」

話題よりも速人さんに褒められたことがよほど嬉しいのか、林葉の彼女はきゃっきゃっとはしゃいでいる。何人も、という言葉は聞き逃したらしい。

 

「ふーん、あんたモテそうなのに、変な趣味してんだな。でもムリだよ。親父も紀美香の親も乗り気だし、俺だって別に嫌なわけじゃないから。」

「紀美香のご両親は婚約解消を承諾されましたよ。」

「え!?」

 

速人さんの言葉に私は思わず目を見張った。

今、彼は私の両親が婚約解消を承諾したと言った。

嘘だ。そんなはずあるわけない。

そんな気持ちを代弁するかのように林葉がその口を開く。

 

「んなことあるわけねーだろ。こいつの親は断ることなんてできねーんだし。」

「それはどうでしょうね。あなたがた親子のやっていることが彼女の両親に対して喜ばしいことではないでしょう?」

「は?何いってんの?」

 

「林葉龍三郎氏は貴方のお父様ですね?彼に公費横領疑惑がかかってるんですよ。まあその他にもいろいろ・・・高級クラブを渡り歩いているのも有名ですからね。」

「・・・。」

え?

一瞬耳を疑った。

あまりのことに私は速人さんを見た。

嘘を言っているようには思えなかった。

どうしてそんなことを彼が知っているのだろう。

どうして・・・。

 

「それから、林葉怜司さん、あなたもよほど夜遊びがお好きなようですね。遊び歩いてお店に迷惑もかけているようで、その証拠となる写真が数枚ここにあるんですよ。」

速人さんは封筒を一枚取り出した。

林葉は速人さんを睨みつけるとその封筒を奪うようにして掴んだ。

「この事実を彼女の両親に伝えたところ、あっさりと婚約解消するとおっしゃってましたよ。貴方のお父様にお世話になった・・・お金を借りていたようですが、そんなものは昔の話でとっくに返されていたようですしね。親子共々、信頼していただけに裏切られたとたいそうお怒りでした。」

林葉がめずらしく口を噤む。

その写真はよほど都合の悪いものだったのか林葉の顔がみるみる血の気がひいて青ざめていく。

 

「なに?どういうこと?アタシさっぱりわかんないけど?」

彼女の高い声だけが異様に響いていた。

 

「そういうことだ。紀美香とは婚約を解消してもらう。今後一切彼女には近づくな。」

速人さんは立ち上がるといきなり態度を豹変させ、冷たく言い放つ。

林葉はもうさっきまでの余裕は全くと言っていいほどなくなっていた。

「行こう、紀美香。」

「あ、は、はい。」

 

「お、おい、親父は・・・どうなる?俺は・・・?」

林葉の明らかに動揺した声が呼び止める。

 

「さあな。それを決めるのは俺の仕事じゃない。」

 

速人さんはそれだけ言い捨てると、再び私の腕を強く引っ張って歩いた。