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「杉山さん、お昼はいつもどこで食べているの?」
あの日以来、菊花みなみが親し気に話しかけてくれる。昼食後、教室に戻ってきた空音の姿を見つけたようだ。
聞いたところによると、彼女はピアニストを目指していて、ジュニアのコンクールでは常連で何度も受賞しているという。
「お弁当なので天気のいいときは外だったり、カフェテリアだったり、いろいろです」
「そういえば、杉山さんて調理科にいたんだよね。自分でお弁当を作ったりしてるとか?」
「いえ、今は作ってもらっています」
海棠家には専属のシェフがいる。一日三食はその山田シェフが担当しており、空音が学校に持参するお弁当まで快く引き受けてくれたのだ。
時折、調理科の友人たちと時間を合わせてカフェテリアで食事をとるが、教室のある建物が離れているので、毎日は難しい。
「海棠家ってメイドさんとかいっぱいいるの?」
「たくさんではないですけど、数人は」
「さすがー、別世界って感じね。うちはハウスキーパーどまりだわ」
みなみは根ほり葉ほり空音のことを、―――大半は海棠家のことを知りたがった。とりあえず、答えられることは答えるが、海棠家のことをあれこれと自分のことのようには話せず、返答に困った。
みなみが気さくに近寄ってくるせいか、他のクラスメートたちも興味津々で空音の周りに集まってきたので、余計にどうしていいか困惑してしまった。
「杉山さん、同級生に敬語はいらないよ。ね、空音って呼んでいい?」
「……うん」
正木朋美は、完全に孤立状態になり、常にひとりで行動しているようだった。空音は彼女の様子が気になりながらも、みなみの強引さには口をはさむ暇もなく流されるばかりだった。
「あんなにすごい婚約者がいるとクラスの男子なんてお子さまにみえちゃうでしょ?」
いつしか話題は恋話に変わっており、空音は次々に変わる話題についていけない。
夕海たち調理科の友人たちは空音の性格もよくわかっていて、いつものんびりした雰囲気の中、ゆったりと会話を楽しめていたが、このクラスではそうもいかないようだった。
「いいなー、大人の彼氏。生活も安泰だよね」
「だよね、なんでもリードしてもらえそうだし」
「ねえねえ、もしかしてホテルメロディアーナに泊まったことある?」
その問いかけに、一斉に視線が集まる。空音が戸惑いながら頷くと、きゃーという黄色い声が教室内に響いた。
「うちの彼氏もたまにはそういうホテルに連れてけっての。大学生でバイトもしてるくせに安いラブホばっかだよ」
「バイト三昧で頑張ってる彼氏を悪く言うなって」
女子たちの会話は途切れることを知らない。
やっと解放されたのは午後の授業が始まる直前で、空音は個別レッスン室へと急いだ。
『一緒に死のう。一緒に楽になりましょう』
脳裏に蘇る、母の言葉。空音は立ち止まる。目の前が真っ白になって涙を流す母の姿が浮かぶ。
―――また。
そう思った時だった。「杉山さん」と、呼び止められ、振り返ると、正木朋美が立っていた。無表情の彼女は一枚のスコアを空を手渡す。
「これ、杉山さんのでしょう?」
「あ、ありがとう」
空音が受け取ると、朋美は何も言わず小走りで去っていった。
何かを話さなければと引き止めようとしたが、引き止める言葉を見つけることができなかった。
空音は大きくため息をついて歩き始めた。
―――白昼夢。
この頃、思い出すことが多くなった、子どもの頃の記憶。
「珍しいわね、1分遅刻」
「す、すみません」
担当のピアノ教師にくすくすと笑われる。
調理科にいたころから、音楽の時間に指導を受けていた教師でもあるので、音楽科では一番親しみやすい先生だった。
甲斐の厳しさとは違って、おっとりとした穏やかな女性で、レッスン中もそれは変わらない。
「学園祭で弾く曲、決めた?」
空音はまっすぐに向き合うと、はい、と頷いた。