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「今学校から屋敷の方に連絡がありまして、空音さんの叔母と名乗る村上静子という方が戸籍謄本を持参して空音さんに会いに来られたようです」
和義はいつにもまして無表情で淡々とした声でそう告げる。柊弥はその言葉を聞いて眉を微かに動かした。
「叔母?」
「離婚した父親に妹がひとりいます。おそらくその人物でしょう」
いつも言葉に感情をこめない和義だったが、このときは少しばかりは語気が鋭い。しかし、柊弥も少々動揺しており、和義の小さな変化には気づかなかった。
空音の両親は離婚後一切の接触はなかったと聞いている。峰子から空音の血筋をしることにはなったが、その際にも父方の親族については何も言っていなかった。
しかし、どうこう考えたところでもう遅い。どのような目的があってのことかわからないが、相手はすでに空音に接触した。
「申し訳ありません。社内の受付にも村上を名乗る人物からの電話があったようですが、似たような電話がいくつもあり、悪戯だと判断したようです」
「そうか」
海棠家の財産を狙い、そういうこともあるだろうと予想はしていたが、実際の親族が現れる可能性は低いと思っていたところは否めない。
「それで、学校側は何か言っていたか?」
「どうやら空音さんの実の父親がご病気のようで、それを伝えたかったようですが」
「病気?それは本当のことか?」
「わかりません。詳しくは空音さんから聞けばわかるでしょう。病気についてはこちらからも調べておきます」
「和義、市村兄妹に連絡をとって空音をすぐに私のもとへ連れてくるよう伝えろ」
「かしこまりました」
和義が部屋を出ると、柊弥はため息をついた。
特に緊張感はないが、空音がまた動揺するのではないかと思うとそれが心配だった。特に今は音楽科に移ったばかりで本人も慣れない日々を送っている。言葉にはださないが、日々疲れているのだということは伝わってくる。
「叔母か……」
柊弥はひとり呟くと、引き出しに入っている空音に関する資料をもう一度眺めた。
父親に関する情報はほとんど記載されていないが、確かに家族構成には妹が存在している。
離婚理由は父親の暴力。その暴力によって母親は鬱を発症、最期は自死……。
―――この事実を村上静子は知っているのか。
確かに10年以上の時が過ぎている。時間とともに人の感情も変わっていくだろう。
空音は彼女に会い何を感じ、何を思ったのか。
柊弥の一番気になるのはそこだ。
彼女が会いたいというのなら、会えばいいと思う。が、そんなに美しい話とはどうしても思えなかった。
そのとき、和義が戻ってくる。
「すぐにこちらへ向かうとのことです」
「そうか」
「柊弥」
和義のその声があまりにも静かだったので、柊弥は怪訝な表情を浮かべる。
「どうかしたのか」
「明日、お休みをいただいてもよろしいですか」
突然のその言葉に驚きを隠せない。長年一緒に過ごし、仕事をしてきたがこんなことは初めてだった。
確かに休暇をとることはあるが、たいていは仕事の落ち着いた頃で、しかも事前に予定を調整している。こんなにも急に和義が休みをとることは普通ならありえない。
「どうか、したのか」
「理由は、すぐにお伝えできると思いますので、今は聞かないでいただけると助かります」
「わかった」
「ありがとうございます」
和義は丁寧に頭を下げると、部屋を出ていった。
そのただならぬ様子が気にならないわけではなかったが、これまでの経験上、和義が勝手なことをしでかすことはない、と思えた。彼は彼なりに考えて行動している。
柊弥は空音の到着を静かに待った。