【蒼き月の調べ】婚約編 第3章 - 2/7

「柊弥が笑う方法?」

その日は和義が様子伺いに空音のもとを訪れていた、柊弥の秘書としては常に傍に付き添っているものの、もちろん24時間というわけではない。柊弥の傍であれこれ動くだけが仕事ではないという彼は、その他にもいろいろと仕事を抱えているようだった。仕事で近くに来るときは必ず空音を訪ねてくれたし、また休みの日などにも顔をだしてくれるようになった。どちらかといえば柊弥よりも和義の方が会話もはずみやすい。

空音が思いきって柊弥が笑う方法はないかとたずねてみると、和義は不思議そうな顔をしている。

「柊弥さんてあまり笑わないでしょう?だからなんとかして笑わせてみたいって思うんですけど」

なかなか難しいんですよねぇ、と悩ましい顔を向ける。

「ああ――なるほど。そうか、確かに空音さんにとってみれば笑う、という表現ではないのでしょうね」

和義はくすくすと笑っている。

「でも、あれでも柊弥は空音さんの前では笑っているほうですよ。というかあんな顔を見せるのは空音さんの前だけです」

「ええ?」

「社内では常に仏頂面ですから」

「そうなんですか?」

「ええ。私は空音さんの前ではよく笑っていらっしゃるなぁと思って見てますが」

意外なことを言われ、空音は困惑した。確かによく微笑んではくれるようになったとは思っていたが、それでも声を上げて笑うようなことは絶対にない――見てみたい、と思うのは空音の単なる好奇心だろうか。

「ああ、そうだ。明日は学校までお迎えにあがりますね」

「明日?」

「約束なさっているのでしょう?その”柊弥さん”と」

どきり、と空音の心が反応する。

「ではそのときにでも聞いてごらんなさい」

そう言って和義が教えてくれたことに、空音は思わず恥ずかしくなった。

 

空音は校門前のロータリーのでその姿を見つけると笑顔で駆け寄った。

「柊弥さん」

「今日は少し遅かったな」

「学園祭の準備をしていたんです、わざわざお迎えに来ていただいたのにごめんなさい」

「そうか、学園祭か」

季節はすでに秋の真っ只中。あたりの木の葉は衣替えをして散りゆく季節だ。

二人が車に乗り込むと、速やかにその場を走り去る。いくつかの生徒たちが興味深そうにちらちらと眺めてはいたが、この学園においてこういう光景は特に珍しいことではなかった。

「調理科では最後の学園祭になるので、いろいろお手伝いをしていたんです。峰子さんもいらしてくれるそうなので、頑張らないと。柊弥さんもお時間があればいらしてください」

「そうだな、空音の学校の学園祭は有名だからな」

月ヶ原学園の学園祭は様々な業界で、かなり有名になっている。才能溢れる生徒たちを多く輩出しているこの学園の学園祭はプロも顔負けのプログラムがいくつも用意されている。調理科の2年生も有名なシェフの指導のもと、本格的なイタリアンレストランを開くことになっている。

「レッスンの方は順調か?」

「はい。甲斐さんはとても親切に教えてくださいます」

「そうか、ならばいい。今日はこれからホテルによってから行く」

「ホテルに?」

「さすがに今日は制服というわけにはいかないから、着替えてもらう」

「あ」

空音はハッとして自分の姿を見た。学校から直接来たのだから当然ながら制服のままだ。これまでにもこういうことは度々あったけれど、制服では行けない、という場所はなかった。食事にしても柊弥の配慮なのだろうが、個室がほとんどで、どこかに出かけるにしても特にドレスコードの必要性はなかったからだ。

柊弥は時々、時間が空いては空音をいろんなところに連れ歩いた。美術館や古いオルガンの置いてある迎賓館、西洋の歴史博物館などどこも空音にとっては興味のある場所ばかりで、どうして話していもいないのに、自分の好きなものがわかるのだろうかと不思議に思うほどだった。

今日もオルガン交響曲を含めた演奏が聞けるというオーケストラを観に連れて行ってくれるという。空音が遠慮していると、自分が行きたいのだから付き合ってほしいと頼まれた。柊弥とは本当に趣味が合うのか、それとも柊弥が合わせてくれているのかは、空音にはわからなかった。

ホテルではオーナーズルームでシャワーを浴びてから、柊弥が用意してくれた薄桃のフォーマルドレスに身を通す。サイズなどは伝えたことはなかったはずなのに、空音にぴったりでよく似合っていた。

「空音はそういう格好をしているととても高校生には見えないな」

「それってふけ顔ってことですか?」

少しむっとした顔を向けると、柊弥は微苦笑した。

「そういう意味ではない。綺麗だ、と言っている」

「え」

思いもしていなかった言葉に空音は思わず頬を紅く染めた。空音の周りにはこんな風にストレートな物言いをする男子はいない。しかも、綺麗だなどと言われたことは生まれて初めてのことだった。

「行こう」

柊弥は戸惑っている空音の背中にそっと触れると促すようにして部屋を出た。