(1)
「小学生の頃からずっと。今も、これからも・・・」
河野くんの真剣な瞳に思わず身体が中心から熱くなるのを感じた。
「俺の心にあるのは琴ちゃんだけなんだ」
わたしはそのとき、もう一度あの場所で、河野くんと一緒に桜の木を見上げたいと思った。
あの日、手を伸ばしても届かなかった桜の枝は、きっとあの頃よりもずっと近い場所にあるだろう。
それほどに時間は流れてしまったけれど。
「また泣く・・・」
困ったような顔をする河野くんを見て、ああ、わたしはまた涙を流しているのだと、別の人のことのように思った。
「高校の体育館裏にある桜の木の伝説知ってる?」
涙が止まったのを見計らって河野くんはつぶやいた。
「あの桜の木の下で告白したら両思いになれるっていう?」
「そう。その伝説の元になった話があって、それは?」
「それは・・・知らない」
先輩からきいたのは、告白すれば両思いになれるという、それだけのことだった。
元になった話があるというのは初耳だった。
問いかけるように視線だけを河野くんに向けると、河野くんは頷いた。
「昔、愛し合った男女がいて、その愛を密かに育んでいた。でもふたりは身分が釣り合わないからどうあっても結ばれることができなかったんだ。それで、せめてどこかにその思いを残したいと思って、ふたりで桜の苗を一本ずつ植えた。それからその桜の木は夫婦桜って呼ばれるようになった」
「夫婦桜?でも・・・」
あそこにあった桜の木は一本だけだ。
「そう、なぜか今は一本しかないんだ。高校があった場所って昔は尋常小学校があった場所だった。戦後、高校に程近い場所に新しい小学校が今のところにできた。尋常小学校は取り壊されて、今の高校になったわけだから、そのときにいろんな事情があって、一本の桜の木は取り除かれたのかもしれない」
「そんな」
「それを哀れに思った人がせめて伝説の上でも結ばせてあげようと思ったんだろうね」
それで両思いになれるという伝説が出来上がった。
「本当かどうかはわからないけれど」
どうしてその話を河野くんが知っているんだろう。
不思議に思っていることが伝わったのか、河野くんはわたしの方を向いて微笑んだ。
「一応生徒会にいたからね」
そういって、河野くんは話を続けた。
「でもさ、ふと思ったんだよ。もしかすると、一本の桜の木はどこか別の場所に移されたんじゃないかって」
「え?」
「小学校に、不自然な場所に立ってる桜の木が一本ある」
「あ・・・」
わたしの脳裏にもはっきりと描かれるそれは、あのサクラの木。
離れていても枝いっぱいに咲かせる桜であることはどちらも変わりない。まるでお互いが呼応するように。
確かに、そう言われてみれば不思議なくらい類似もあるし、枝の向きがまるでお互いを求めるかのような状態だったような気がする。
「すごい・・・それって」
「ま、単なる想像だけど。でも、とても偶然とは思えない。それに、俺たちをつないでくれたのも、あの二本の桜の木のような気がするから」
「うん・・・」
河野くんのわたしの手を握る指先に少し力が込められるのがわかった。
「まだ時間はかかるけど、必ず日本に帰るから」
「うん」
「帰ったら、一緒に桜の苗を植えよう」
一緒に・・・
その言葉の意味をもう一度確認するように河野くんの瞳を見る。
「その桜が育って満開の花を咲かせるのを一緒に見上げよう」
え、と思ったその瞬間、河野くんに腕を引き寄せら瀬、彼の唇がわたしの唇に重なった。
頬にもう一粒の雫が伝うのを感じて瞳を閉じた。