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蒼天に薄くたなびく白い雲がひろがり、紅や黄色の色どりを見せはじめた紅葉が人々を楽しませる、そんな秋真っ盛りのこの日、月ヶ原学園の学園祭が開幕した。
「柊弥、すぐ戻ります」
和義は人ごみの中に何かを見つけたのか、柊弥の側を離れた。
その行動が気になりつつも、尚弥と共に、音楽ホールへと向かっていると、見慣れた人物が待ち構えていた。
「あれ、珍しい人がいるよ」
甲斐は尚弥を見るなりほほ笑んだ。
「カズさんに誘われたんだよ」
「その和義の姿が見えないけど」
「さっきまでいたんだが、ちょっと用があるらしい」
「ふーん」
柊弥の意味深な返事に甲斐も少しばかり、真面目な顔になる。だが、そんなことは気にしていない尚弥はきょろきょろと辺りを見回している。
音楽業界では有名な人物がちらほら視界に入るからだ。
「ったくなんだってこんなところにそうそうたる人物がぞろぞろ来てるんだか。たかが、学園祭だろ?」
「そう、たかが学園祭なんだよ。そのたかが学園祭は月ヶ原学園にとっては特別だからね。生徒にとっても、そうそうたる人物にとっても。尚弥も面白いものが見られると思うけどね」
音楽一家と呼ばれ、世界で活躍する鳳仙一家が全員そろうことは滅多にない。その滅多にないことが今年はあちこちで起きている。今年は音楽科だけではない、注目されている生徒が多数いるのだ。
普通の人にとってみても興味はあるだろう。
ついこの間まで、世間を騒がせていた海棠グループの御曹司、海棠柊弥の婚約者がこの学園の生徒でピアノ演奏をする、とあってはここぞとばかりにその器量をはかろうとしている。
だが、ほとんどの人、そして報道陣は興味本位でしかない。「玉の輿おじょうさまの戯れ」などという声がちらほら聞こえていた。
「言いたい放題だなー。失敗したらどんなことになるのやら」
「別の意味で楽しそうだね、尚弥」
その反面、柊弥はまったくの無表情だ。
「にしても兄貴は特別席じゃないんだな」
一般有料席に向かいながら、尚弥が尋ねるが、これにこたえるのは柊弥ではなく甲斐だ。
「まあ多少はこちらにひきつけとけば、って感じかな?」
尚弥は意味がわからない、といった風だが、何人かの報道陣は柊弥の後を追ってきている、思惑通りに。
特別に招待されている大学関係者や、各分野の著名人は一般客とは別の二階に特別席がもうけられている。報道陣と一切接触を拒む者もいるため、その出入口は完全に制限されているのだ。
学園で最も大きく集客力も一番だというそのホールにはすでに人であふれかえっていた。
柊弥は最前列の指定席に迷わず座る。
気づく者は気づいている。
ホールの観客の入れ替わりが終わったころ、音楽科のプログラムの開始を伝える合図が鳴った。
音楽科のプログラムはピアノソロから始まり、二重奏、三重奏、四重奏がある。そしてコーラスに続き、吹奏楽の演奏だ。音楽科の生徒は必ず全員一回は演奏するが、二回以上出演することもある。
中でもピアノソロは特別ピアノの才能がある者ばかりが選ばれており、過去にこの場所で演奏した生徒の何人もがピアニストとして活躍している。
ゆえに、空音が選ばれたことは海棠家の力なのではないのだが、この学園祭を知らない者たちにとっては、空音が選ばれたのは金持ちの道楽だと思っているところがある。
「空音ちゃんは三番目だよね。前の二人はコンクールで何度も入賞している常連の二人。かたや無名。しかもピアノを本格的に学んで一年も経っていない―――まぁ、普通に考えれば柊弥の力としか思えないよね」
甲斐は言いながら笑う。
柊弥は我関せずといった風に舞台を見つめている。
「兄貴が口だしたわけじゃないんだ?」
柊弥のとなりではなく甲斐の隣に座った尚弥が小声で甲斐に尋ねる。柊弥の隣の席はまだ空いたままだ。
「月ヶ原学園には有名人の子息は山ほどいるよ。学園はそんな人間の言い分を全部聞くわけにはいかないだろう?すべて公平に実力で選ばれる。だから評価も高し、信頼もされている。―――ゆえに、その公平さを評価している様々なところから多額の寄付金がある。そうやってこの学園は成り立っている」
「へえ」
「でも、空音ちゃんもこの規模での演奏は初めてだろうからね。さすがに緊張しているんじゃないかな。何事もなければいいけど」
結婚式や、音楽祭などで、ピアノ伴奏の経験は何度もある。だが、自分だけが主役という舞台は空音にとっては初めてのことだ。
「たまには緊張して失敗でもしてくれたほうがこちらとしては安心するが」
ようやく口を開いた柊弥がぽつり、とつぶやく。
「まあ、そのほうが人間らしいよね。あの子はどこか人形みたいなところもあるし」